原野のキャンプ〜ノアタック川

北極圏を東西に連なるブルックス山脈。
その南側を、山脈の裾をなぞるように流れるノアタック川。
全長400kmほどのその川は、上流から下流まで緯度の変化が少ない。
そのため、ずっと森林限界を超えた、北極圏らしい風景の中を旅するができる。

アラスカを撮り続けた自然写真家の星野道夫さんに初めて出会った時に、星野さんに勧められた川だった。

星野道夫さんが急逝した翌年から僕はアラスカに通いはじめた。
あれからアラスカ各地を旅し、さまざまな場所で夜を明かした(といっても夏は白夜なので暗くはならないが)。
その多くは決して快適とは言えない幕営地だった。

湿地、泥地、極端な凸凹、強風、蚊の大群・・・・。

しかし、心に残る素晴らしいキャンプ地もいくつかあった。
荒涼とした原始自然の中の、まるでオアシスのような場所を見つけた時には飛び上がりたいくらいうれしくなる。
そのひとつがノアタック川を旅していた時に出会ったこのツンドラの平原だ。



その日はいくらカヤックをすすめてもよいキャンプ地に出会えなかった。
両岸には背丈くらいのヤナギが生い茂るヤブが続いている。
時々あらわれる砂地の河原は湿っていて、ここ数日のうちに川底だったことが伺えた。
そんな所にテントを張って、もし上流で大雨でも降ろうものならたちまち増水しテントごと流されてしまうだろう。

数時間もカヤックの上にいていい加減嫌になってきていた。
仕方なく、ヤナギのブッシュの際に上陸し、ダメもとでヤナギをかき分け土手を登ってみた。
視点の低いカヤックから見上げると、土手の上までヤナギに覆われているように見えていたのだが、
そこには開けたツンドラの平原が広がっていた。

気持ちのいい風が通っていて、蚊が吹き飛ばされ快適だった。
川岸から近いとは言えないが、僕はここでキャンプをすることにした。
もう数日、こんな気持ちのいいキャンプ地に出会っていなかったからだ。

テントを張り、シュラフを草原の上に広げて日干しした。
草の上に寝転がるとツンドラの香ばしいにおいに包まれた。
こんな時、一瞬だけ、原野にいる不安を忘れることができる。

しかしいつまでもそうしていられないのがアラスカのキャンプ生活だ。
ふと、クマのことが心配になった。
まだテントの側に食料が置いてある。
クマは犬の10倍もの嗅覚があるとも言われている。
そのクマと遭遇しないためにも、テントの中には食料はもちろん、においのきついものは絶対に置いておいてはいけない。


「ベア缶」と僕たちが呼んでいる円筒型の硬化プラスチック製容器に食料は入れる。(画像参照)
これはにおいを漏らさないためではない。
たとえにおいに魅かれてクマが寄って来ても、その材質と形状のおかげで、
ぜったいにクマは中の食料を取ることができないのだ。
僕も1度経験があるが、人間の食べ物の味を覚えてしまったクマほど怖いものはない。

そして、ベア缶はテントから100m以上離れた風下に置いておく。
さらに、食事の支度をする場所は、そこからまた100m離すのだ。
嗅覚の世界に生きているクマたちがテントに近づかないようにするための方策だ。

僕はツンドラから起き上がり、テントの前に転がっていたベア缶を抱えて歩きはじめた。
今回の旅では、まだクマに出会っていなかった。
しかし、例え出会うことがなくても、アラスカのキャンプではいつもクマのことを意識している。
怖くないですか?と聞かれることがよくあるが、もちろん怖い。とても怖い。
しかし、その怖さは、僕たち人間が忘れてしまっている自然に対する謙虚さを思い出させてくれる。

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