ブログ「アラスカ紀行」について


アラスカに1年間だけでいいから暮らしてみたい。
そういう思いから僕のアラスカの旅は始まりました。

初めてアラスカを訪れたのが1997年の3月。
この時は下見のつもりで1ヶ月間、北から南まで旅をしました。
どこが暮らしやすいのか、また、夏に下る計画だった北極圏のシーンジェック川の情報を調べるためでしたから、街から街への旅でテントもほとんど使わずじまいでした。
どこに住むのか結論は出ませんでしたが、とにかく憧れていた極北の川をまずは旅し、それから考えればいいと思い、その時は日本に戻りました。

そしてその年の6月、ビザも取得し、再度アラスカの北の都・フェアバンクスに降り立ちました。
シーンジェック川を旅するため、あきれるくらいの大荷物と共に。

「シーンジェック川」のことは自然写真家の星野道夫さんのエッセイ「ノーザンライツ」で知りました。そのエッセイは星野さんの急逝により未完のままに終わってしまったのですが、その最後の章がシーンジェック川を旅する話しだったのです。

星野道夫さんとは95年の冬に日本で会っていました。
まだ今のようにネットの発達していなかった時代です。
アラスカ原野へ行こうにもその情報などほとんどなく、僕は写真展の会場に行き、星野さんからアラスカの旅の相談に乗ってもらおうと思ったのです。

京都の写真展の会場にはアラスカの地図が張ってあり、ユーコン川をカヤックで旅したい、という僕の希望を聞いて星野さんは「人の暮らしを見るのならユーコンもいいけれど、アラスカらしい自然が見たいのなら」と、ノアタック川という川を紹介してくれました。その川は、アメリカ大陸最北の山脈・ブルックス山脈の麓を東西に流れています。
地図を見ているだけでワクワクしてきたのを今でもよく覚えいます。

しかし、星野道夫さんは96年夏にクマの事故で亡くなってしまいました。
僕は未完となってしまったエッセイの続きをこの目で見た見たいと、ノアタックではなくまずはシーンジェックへ行こうと決めたのです。

そして夏の間、北極圏のシーンジェック川を皮切りに、デナリ国立公園や南東アラスカを旅し、秋のある日、フェアバンクスに戻りました。
定宿のテントサイトにすっかり年季の入ったテントを張り、しばらく今後のことを考えていました。

1年だけ、と思っていたのですが、次に行ってみたい場所で頭の中がいっぱいになっていました。
人の気配などない原野の旅はとにかくきつくて怖かったけれど、とてつもない魅力に満ちていました。
そしてアラスカにはまだまだそんな旅ができる場所がたくさんあるのです。

冬の間日本で働いてまた来年来よう。

僕はそう結論を出していました。

それから10数年、毎年とまではいかないけれど、アラスカの原野に通い続け今に至っています。
先日、ふとアラスカで過ごした日数を数えてみたら500日ほどになっていました。

この「アラスカ旅日記」ではそんな今までの旅の様子を、気の向くままに綴ってみたいと思っています。

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